創業支援をやっていて、この人は良い起業家になるなぁと思う人に時々出会います。端的に言うとその特徴は、迷いがないことです。正確に言うと、内面の迷いはあるはずなのですが、その迷いに自分の中である程度の決着をつけている人、というニュアンスです。逆にいつまでも迷っている人は、あまり起業家に向いていない気がします。これも正確に言うと、答えを他人に求める人です。迷いを外部に見せて、誰かに答えを提示してもらうのを待っている人、こういう人は多分、一人で仕事をしない方がいいでしょう。
私たちは学校教育の中で、どんな問いにも決まった答えがあるという考え方に慣らされてきてしまいました。だからビジネスにおいても最短距離で成功する答えがあると思っている人が、意外に多い(これは起業だけでなく、仕事全般にいえます)。そういう人は、支援者である私たちに問いを投げかけ、答えを求めます。支援者たる私たちは、自分の中にある経験と知識を総動員して答えますが、その答えが、その人にとって正しいかどうかは最後まで分かりません。いろいろな人の視点、意見を求めることはすごく良いことなのですが、誰かが答えを持っているわけでは、絶対ないのです。
迷ってもなんでも自分で答えを出して、行動して、その責任を自分でとる。そういう覚悟がある人は、見た目にも気持ちが良くて、起業に向いているなぁと感じます。かくありたいですね。
創業というと経済的な側面にばかり目が行きがちですが、もう一つ大切な側面があります。それはその人の人生の中軸を成すキャリア開発を支援しているということです。私はもともとキャリアコンサルティングに関わっているため、創業支援をスタートした時から、このことを実感していました。そういう意味では創業は、就職や転職と並ぶ、人生の大きな選択肢の一つ、と言えます。ただし就職や転職して獲得するポジションが「雇用される」位置づけであるのに対し、創業は雇用関係から離れて自ら立つ必要があります。自営業者のことを英語でself-employedと言いますが、まさに自分で自分を雇用し自己動力で進んでいくしかない点が、創業の厳しい一面と言えます。
創業の経済的側面に目を向けると、私たちはお金に関する教育を満足にされていないことに気づきます。自分自身を振り替えってもそうですが、創業相談に来られる方の中にもそういう方がいます。派遣社員で働いていて年収が300万しかないので創業したい。でも自己資金がないから銀行からお金を借りたいのだけれど、どうしたらいいのか…?持ち家や親の財産やらがあれば話は別ですが、そうでない場合は、そうそう簡単にことは運びません。こんな状態になる前に、自分の人生やキャリアを考える機会はなかったのだろうか。このあたりの知識を持つことが、生きていくことの基本スキルになるのかもしれません。
「ワークライフ静岡」2015年秋号に創業についての記事を掲載させていただきました。ネットでは公開されていないようですので、どこかで見かけたらご覧ください。
独立行政法人労働政策研究・研修機構の発表によると、正社員の新卒採用で資格・検定を重視する企業は2割にとどまっていることがわかりました。逆に重視しているのは「人柄」で約70%、ついで僅差で「コミュニケーション能力」が評価の対象となっています。
新卒採用はポテンシャル採用ですから納得のいく結果ですが、学生さんは資格取得にあくせくするよりも、大人を含めていろいろな人に会い、自分の性格や考え方のクセに気づいたり、相手のいうことをきちんと聞く能力を高めたりするほうがよさそうです。でも、これ就活直前に付け焼き刃でトレーニングできるものではありませんね。そういう意味では、就活でそれまでの人生が試されるということになりそうです。
静新21世紀ビジネス塾に行ってきました。「女性が活き活きと活躍する企業づくり」と題した3回シリーズの2回目。「女性の活躍」は目下、第3次ブームの気配で、当事者側から見ると「また、おとこのひとたちがやってますね」的になってしまうのですが、本日の天彦産業、樋口社長のお話しは本物の手応えがありました(すみません、偉そうな言い方で)。
たとえばこんなお話しです。
「先に風土をつくる」
「うちの会社には制度はないんです。各社員の事情に応じた個別対応があるだけ」
「会社の看板は社長だから、人材採用は私が前にでてやる」
「社員の幸せ感にいちばん影響を与えるのは、<この会社で役に立っている>という実感」
「女性のすごさは母性にある。これが今の世の中でいちばん欠けているもの」
「リーマンショックのあと業績が70%ダウンしたときでも、社員にボーナスを出そうとしたら、社員から怒られた。『社長は社員のことが全然わかってない』と」
「人生の大半をこの会社で過ごす社員に対して、経営者は責任がある。会社に貢献してほしいというのではなく、このフィールドで素晴らしい人生を送ってほしい。これが自分の夢」
制度の素晴らしさをいくら訴えても、外側だけ真似しようとすれば真似できてしまう。
そうじゃない本物って、やっぱり、その人の内側から湧き上がってくるものなんだなと
感じました。
当事者としてこれをやっている覚悟、それはすごいと思います。
「後継者をどうするのか?」という会場からの質問に、
「一歩間違えたら、財産すべてを失うような仕事、身内以外には任せられない。
世襲にするしかない」。
…すごく暖かいもの、広くて深い愛情(としか表現できないもの)がありました。
「職員の笑顔を見るのが一番嬉しい」という川越胃腸病院の望月院長にお会いしてきました。うそ偽りなく「幸せの経営」を実践される望月院長。「愛情なき経営は犯罪」と言い切る強さの裏の想像を超えるほどの覚悟に圧倒されてまいりました。
そうしてみると…「お金を儲けること」と「人に働いてもらって経営をすること」は明らかに違う次元の話であることがわかってきます。どちらを選ぶかは経営者の気持ち次第ですが、「お金を儲ける」が優先すれば「周りを搾取する」構造にならざるを得ず、短期的には儲かっても長期的には悲しい展開になるのが薄々見えてきます。対して「人に働いてもらって経営をすること」は、経営の目的が第一で、そのために力を尽くし、力を尽くす中の一つの大きな要素として働きやすい環境・状況をつくるということが入ってくるようです。お金は、その結果であり、道具であるということなんでしょうか。伊那食品の会長のお話を伺った時に「利益はうんち」と聞いて笑ってしまいましたが、力を尽くして払うべきお金を分配したあと、カスとして残るのが「利益」…という程度の認識に改めるべきなのかもしれません。もちろんそこには圧倒的な競争力とか信頼感とかがあるのが前提ですけど。というか、だからこそお金を払ってくれる人の要望にぴったりはまる商品やサービスを考えようというモチベーションも生まれてくるという順番なのかもしれないですね。
と、、こういうお話し、通り一遍に聞くと、「きれいないい話」なのですが、そこに真摯に向き合っている方たちは、思想的に突出しています。体の奥底から「共生」のオーラを発している。だからこそ人が集まり、その気持ちに火がつき、成果を出す循環が回り始めるのだと思います。問題はこの循環を回り始めるまでにどのくらいの年月がかかるか、、。望月院長は20年とおっしゃられました。試されるのは忍耐力ですね。
写真は望月院長とのツーショット。院長の素敵な笑顔の隣で、疲れ切った顔で写っている自分が残念…
最初は「まさか」と思いましたが、従業員50人以上の職場でこの12月からストレスチェックが義務化されます。職場でのメンタルダウンが社会問題になって久しく、やっと政府が重い腰を上げた感がありますが、ストレスチェックという形で実現するとは思いませんでした。でも考えてみれば、これは兆候を発見するには悪くない選択です。しかもそのチェック結果は個別に社内にフィードバックされませんので、警戒することなく回答ができる仕組みになっています。ストレスチェックをきっかけにキャリアカウンセリング制度や組織改善につながる研修などの導入へと進めれば、職場の病いに早いうちに手が打てます。キャリアカウンセリングや組織改善は私のテリトリー、やっと役に立つ時がきましたね。
バブル崩壊後の失われた10年に社会人デビューせざるを得なかったアンラッキーの人たちや、母子家庭など社会的にハンディキャップを背負った方たちに、適切な職業機会を与えようと創設されたジョブカード制度。その普及に拍車がかかっています。ジョブカード推進者を育てる研修が各地で相次いで開かれ、一人ひとりが自分のキャリアの履歴や学んだこと、身につけたことを適切に記録に残せるようになったことは、キャリア開発にずっと携わってきた身にとっては嬉しい限りです。できれば夢やビジョンも書き連ね、定期的に振り返ることで、自分の居場所を確認する、そういうシステムになるといいと思います。ところが、ウワサでは近々始まるマイナンバー制度と連動して、キャリア履歴も個人情報として一元管理されるようになるとか。基本的にジョブカードは本人が管理するものなので、誰かがそれを見て何かアクションを起こすということはあり得ないのですが、それでも、誰かに管理されている感に、息苦しさを感じます。ものごとにはおしなべて表と裏があります。表のメリットを享受しながら、裏のデメリットをいかに緩和するか、ここに人の知恵の見せ所があります。
天分とは「天が私に分けてくれた才能」のことだと知ったのはつい先日。生まれる前から持っているものだから得意なのは当然、なのだそうです。では、天分の反対語は?・・・なんと「自分」なんです。自らが分け与えたもの、つまり「自我」なんですね。天分は天から分け与えられたものだから、教えられなくてもすらすらできてしまう。それって「対象が簡単だから」なんじゃなくて、「私に天分があるから」なんですね。簡単なことって価値がないことだと思って、自分が苦手なことばっかりに価値をおいて取り組んできましたが、なんだか無駄なことをしてたんだなぁと思った次第です。天分は、たとえば、こんな風にすらすらと文章が書けること。文章書くの好きだったんだぁと思い出した今日この頃。
まちづくりサポーターFUJIの一周年記念講演会にて、一橋大学イノベーション研究センターの米倉先生の刺激的なお話しを聞きました。お題は「イノベーション」。イノベーションで浜松を元気にするにはどうすればよいかというのを考えるのが主旨です。私もパネルで前に座らせていただきましたが、浜松をひとくくりで語るのがちょっと難しいなというのが実感でした。ただ一つ言えるのは、そして登壇者の共通認識として感じられたのは、「すでに持っているものを再評価して、新しい角度から光を当ててみよう」ということです。そのときに、自分対相手という1対1の関係ではなくて、第3者、あるいは第4者を絡めて、遠回りに見えながらも練り上げられた豊かな関係のなかで、目的を達成することができるはず、なのです。ここに頭を使うのはなかなかエキサイティングです。そして、できあがったモデルが持続可能型であればいうことありません。持っているものを再評価し、それぞれの価値を交換しながら、今までより少し長い目で関係を俯瞰し、各プレイヤーの目的達成が可能な全体最適のモデルをつくる、これはやりがいのある仕事だと思いました。
4月から多摩大学客員教授の竹村先生が主宰する「竹村塾」に復帰しました。今月のお話は「ピグマリオン効果」。自分が象牙で創った女性像に恋をしてしまい、気持ちを抑えきれずにアフロディテに頼んで、人間の女性に変えてもらったというキプロス島の王様ピグマリオン。人は他から期待されるほど、その期待に応えようと努力を重ね、ついには高みに至るという
「期待理論」の解説として使われる寓話です。ここで大切になってくるのは、期待する方の技量でしょう。心から相手に期待し、相手に期待されていると思わせるのには、単なるテクニックを超えた人間的な容積の大きさが必要です。
ただどんなに偉い人でも、どんなに経験を重ねた人でも、期待され、評価されるのはうれしいもの。この単純な方程式をきちんと押さえておけば、期待し、期待され、評価し、評価される、気持ちの良いフラットな人間関係ができるのではと思うのです。
NPO法人まちづくりサポーターFUJIが主催する「女もすなる都市計画」研究会に参加してきました。第5回目の開催。今回は、まちづくりの主体者たる組織は誰か・・・というお話しを中心に、住民が喜び、まちが栄えるまちづくりの方法について勉強をしてまいりました。結論から言うと、トップダウンのみではダメ、ボトムアップはいいけれどもあるところまで行くと壁を乗り越えるのに並々ならぬ力がいる・・・企業におけるマネジメントと同じ悩みがあることがあるのですね。トップが旗をふっても意に染まぬ施策には、従うフリして気持ちは違う方向を見ている下の人たち。逆に、下の意向を積み上げても大きな方向性が会社と添わなければ、自己満足に収束してしまうボトムアップの動き。トップダウンとボトムアップをうま〜く融合させるテクニックが必要なわけです。それはマニュアルで教えられるものではなく多分に人的な要因が大きなわけですが、それでも多少なりとも手がかりになる方法論があれば、試行錯誤で時間を割くよりもスピーディに問題の解決ができるはず。SHIEN学、ここでも使えるな、と思ったわけです。
科学技術と芸術文化の融合を標榜する原島博先生の講演を聞いてまいりました。インターネットの発達が、私たちの未来にどう影響してくるか、というお話し。3Dプリンタなどの普及で大規模な設備投資なく誰もがメイカーズになれる時代。だからこそ、私たちは産業分野に委ねてきた「ものづくり」の楽しさを消費者側に取り戻し、生活をまるごと創造的に変える新しい暮らし方をしていくべきというメッセージがありました。そこでは旧来の製造業は役割を変え、ただ単に物を提供するという立場から、消費者の創造的生活に貢献する「素材」と、インターネットをベースにした「協働のインフラ」を提供するという新しい立場に移っていくはず。そのとき利益を生み出す源は何になるのか。そもそも、そこではお金というものの価値が旧来どおりにまかり通るのか・・・すごく刺激的で示唆に富み、将来に対する明るい展望が開けるお話でした。「創造的生活者」・・・チェックしていきたいキーワードです。
浜松市内で開催された、アートとエンジニアリングのイベントに参加してきました。名称は「クロスアートミーティング」。主催者にお話を聞くと「イベントの目的は特にない」とのこと。いいなぁと思いましたね。目的を定めれば、そこにガイドラインが生まれ、想定外のものが生まれてくる可能性が限りなく小さくなってくる。でも目的を定めなければ何をやってもいいから、どんな人でもそこにいることを許される。この性善説に基づく緩さや自由さが、空気をすごく清々しくて活気のあるものにすることに気づきました。誰でもいていいよ、という空気感が、混沌としているけど新しいものを生み出す土壌になるんだろうなぁと思った次第です。主催者側の懐の深さが試されるところです。
昨日,参加した、とある研究会で。
知り合いのIT系企業の社長さん(男性)と話をするなかで
「静岡県は女性社長が少ない」なのに「女性の所得は高い」
という不思議な話題が出てきました。
「静岡県は」というくくりで正しいかどうかはわかりませんが
こと「浜松市」や「県西部」に限ってみれば
大手企業が比較的多く,そこで雇用されている女性も多い。
その社長さんいわく「パートさんも長く働いていると
そこそこ給料もよくなって、
結果として女性の所得が高くなる」とのことでした。
キャリアの選択は人それぞれ。
人生で何を優先するかはその人次第ですが
環境の影響は大きいなと感じた次第です。
ちなみに静岡県内3万2085社の社長のうち
女性は1914人。県内全体の5.7%、だそうです。
今年の大学3年生から就職活動の解禁日が3年次の3月1日となります。
かつては3年生の10月スタートだったものが12月に変わり、
さらに年明けて3月へと後ろ倒しになった背景には
「学生は学業に専念すべし」という考え方があります。
この理屈に反駁すべくもありませんが
企業の採用活動に長らく関わった立場からすると
4年生になる直前の3月からで大丈夫だろうか…
という気持ちもよぎります。
学生にしてみれば就職活動は初めてのマジな社会との接点。
アルバイトやインフォーマルな付き合いとは異なる
本物の大人の世界をのぞき見る機会であり、
その大人の世界の理によって自分が評価・判別されるという
初めての体験に出くわす場所でもあります。
シューカツという未体験ゾーンのしきたりに馴染んで
身の振り方がこなれてくるには、しばしの時間が必要で
解禁日が遅くなるということは、シューカツリードタイムが
短くなると同義なため、実は,望ましい会社選びに
棹さす結果にならないかと懸念されるわけです。
解禁日の調整がどんな結果をもたらすかは
大学3年生が卒業して,会社に入社して
パフォーマンスを発揮しはじめる頃、つまり
今から5年以上たたないと明らかになってきません。
学業専念と望ましい会社選びをトレードオフにしない
ような仕組みづくりが求められます。
静岡大学の事業開発マネジメント特別セミナー、
昨日は「伸びる企業・つぶれる企業」というテーマで
東京理科大学の田中雅康先生のご講演。
膨大な倒産企業の研究から、企業の余命年数を
“予言”することができるようになったという田中先生。
2時間弱のご講演から溢れ出る知見を
講談さながらの名口調にのせてご披露いただきました。
「はたらく」は「他楽」や、
「人財」「人材」「人剤」「人在」「人罪」、
本気でやれば「神通力」がつく、
Profit managementとは利益の稼ぎ方を管理するのではなく
有効な利益の使い方を管理すること、など。
ご講演の様子は近々に静大テレビジョンにアップされる模様です。
おたのしみに。